5.天使の絵(2)


再び彼が教会に赴いた時、アンジェは初めて彼の口からその生い立ちを知った。

今度もまた、シーヴァスに内緒で後をつけたアンジェだったが、彼が複雑な表情で絵を見つめているのがどうしても気になって、声をかけてみようと思ったのだ。

「シーヴァス、どうしたんですか?」

アンジェが現れても、彼は驚かなかった。

「君か・・・ついてきてたのか?」
「ええ。どうしてこの絵をずっと眺めているんですか?」
「さあな。とりあえず眺めていると気分が落ち着くからな
・・・ただ、それだけだ」
「この絵・・・シーヴァスのお母様の絵なんですか?」
「そうだ。なぜ知っている?」
「そ、それは・・・」

アンジェは口ごもった。
しかし、やはりウソのつけない天使のこと、恐る恐る白状した。

「実は・・・前にシーヴァスがここに来た時に、ついてきたんです」
「フン、やっぱりな・・・。
君が近くにいる時はなんとなく感じるからな」

案の定といった風情の彼に、
アンジェはちょっぴり拍子抜けした。

「怒らないんですか?」
「別にな・・・もう隠すつもりもない・・・」

そう言って彼は不思議と黙り込んだ。
その沈黙に耐えられなくて、アンジェはまた口を開いた。

「この絵・・・好きなんですか?」
「好き?・・・そうだな。好き…なんだろうな」
「お母様の絵だからですか?」
「さあな、母がモデルということは事実だが・・・父親が描いた絵というせいかもしれないし、この絵自体好きなのかもしれない」

さりげなく彼は言ったつもりだったろうが、
アンジェは軽く驚きの声をもらした。

「え?シーヴァスのお父様は絵を描かれる方だったんですか?」
「ああ、私の父親は騎士でもなんでもない、ただのしがない画家だったんだ。
・・・意外だったか?」
「え?・・・いいえ、意外ではありませんよ。
でもお父様が画家だったのに、なぜあなたが騎士に?」
「・・・いろいろ事情があってな」

そう言って彼はまた口をつぐんだ。
話したくないことなのだろうか。
しかし、アンジェは知りたかった。

「・・・。どんな事情ですか?よかったら聞かせてください」
「・・・君は本当に人を詮索するのが好きのようだな」
「詮索・・・というわけでは」

アンジェは言いよどむ。
だがしばらくして。
彼はアンジェを一瞥すると、小さくため息をついた。

「まあ、いいだろう。
天使のお前に何を語っても損にも得にもなるまい。
・・・事情というのはたいしたことじゃない。
私の母が大貴族の娘だったのだ」
「フォルクガング家の?」
「そうだ。私は母方の家にひきとられて育った。
そこで家名をついで騎士になったというわけだ」
「でも、ご両親はいったい?」

アンジェが首をかしげると、彼は淡々と言った。

「・・・私が八歳の時に死んだ。二人とも・・・
《ヨーストの大火》でな」



        ◇      ◇      ◇



6.天使の絵(3)


アンジェはよく知らなかったが、《ヨーストの大火》は、十数年前にヨーストの町全体に広がった大きな火災だった。
原因は今もって分からないが、当時多くの人々の命を奪ったという。
その被害者の中にシーヴァスの両親もいたのだ。
幼いシーヴァスは幸いにして難を逃れたが、そのせいで母方の家に引き取られることになった。
しかし・・・彼は新しい家で肉親を失うという傷を癒すことが出来たのだろうか。
温かいぬくもりに包まれることができたのだろうか。
いや、おそらくそうではなかっただろう、とアンジェは思った。
彼は心境を一言も語らなかったけれど、話の端々からそれが容易に感じ取れた。

それはアンジェが彼の後をつけて三度目に教会へ行った時のことだ。
シーヴァスは前と同じように絵を見つめていた。

「・・・また、ここへ来てたんですか?」
「ああ、まあな」
「・・・でも、本当に美しい絵ですね。
私も何度見ても飽きませんから」
「フン、まあ世辞でも礼を言っておくべきかな。
両親の絵なのだから・・・」

その物言いにアンジェは小さくため息をつきながら、話題を変えた。

「・・・あの、シーヴァスのお父様の絵は、他にあるのですか?」
「いや、今残っているのは、この絵だけだ。
他の絵は自分の祖父が残らず焼き捨てた」
「!・・・なぜ、そんなことを?」
「私を育てた祖父は父を激しく憎んでいた。
祖父は父のことを我が子を奪って不幸にしたあげく殺した男だと考えていた。
だから、父の絵をどんな値段だろうが、どこに飾られていようが、金に糸目をつけずに買い取り、一つ残らず炎に投じたのさ」
「そんな、シーヴァスのお父様だって、大火で亡くなられているのに・・・」

すると、彼は自嘲するように言った。

「もともと両親は、周りに認められて結婚したわけではなかったのだ。貧乏画家との結婚を大貴族の祖父が許すはずがない。
母は家を飛び出して父とヨーストに暮らしたのさ。だから、祖父は父に復讐したかったんだろう」
「でも、なぜそこまで・・・」

アンジェには分からなかった。
シーヴァスもまた軽く首を振った。

「さあな・・・。
だが、その祖父の異常な執念からたった一枚逃れることのできたのがこの絵だ。
この絵は教会に寄付されたもので、ここの教母はこの絵を祖父に売り渡さなかった。さすがに祖父も教会には手出しが出来なかった。
今ではこの絵が、この世界に両親が生きていたという唯一の証というわけさ。
これ以外はもう、何ものこっていない」

何でもないことのように淡々とシーヴァスは語っていたが、
アンジェは彼の少年時代を思い、心が痛んだ。
両親と暖かな家庭を一度に失ってしまった彼は、どんなに大きな傷を負ったことだろう。

もしかしたら・・・・

もしかしたら、彼が女性と誰かまわずつき合っているのは、
満たされない想いの表れなのかもしれない・・・
アンジェはそう思うのだった。


 

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