| ・・・・そうして。 亜季が玉のような女児を産んだのは、翌年の春のコトである。 「うわぁ、ヘンな顔! ととと・・・かっ、可愛い赤ちゃんですね!」 赤子を初めて見た藤丸の感想である。 そばで横たわっている亜季は、そんな少年の言葉に顔をほころばせた。 「フフ、赤ちゃんはね。みんなそうなのよ」 「そうだ、藤丸。お前もそうだったんだぞ」 そう言って後ろからぬっと現われた男に藤丸はギクリとした。 「あっ、夜叉王さま! こっ、このたびの慶事、こっ心よりお祝い申し上げますっ!」 いつも不意に現れて、しかも自分の心を見透かしているような夜叉王が、藤丸には少々苦手であった。 一方夜叉王は、慌てて姿勢を正す藤丸に内心噴出しそうになったが、それでも彼は威厳を保って 「うむ」 と答えると、亜季の方へ目を向けた。 「そうだ?具合は。少し見ぬ間に色が白くなったな」 「ええ・・、ちょっとだけ体がだるいのだけど、大丈夫。 きっと赤ちゃんの方に栄養がいっちゃったんだわ。丈夫そうな子だもの」 と、傍らですやすや眠っている赤子を亜季たちはいとおしそうに見つめた。 「うむ。きっと元気な女子に育つだろう。お前に似てきっと美人になるぞ」 「まあv」 そう言って二人は笑い出した。 そんな彼らを藤丸はホッとした気持ちで眺めていた。 実を言うと、藤丸は亜季の出産に少しばかり不安があったのである。 なぜなら自分の母親が自分を産んだために死んでしまったことを聞いていたからだった。 しかし、それも単なる思い過ごしであったと少年は苦笑した。 (また、心配症だって亜季さまに笑われるな) ・・・・だが、この時はまだそれが思い過ごしではなかったことを知る由もなかった。 《其の三》 このままおだやかに過ぎてゆくはずだった日々が、ある日突如として破られたのである。 その時、藤丸は日課の一つでいつものように井戸の水を汲んでいたのだが、ふと耳をそばだてた。 (? お邸の奥が騒がしい…?) そう思った途端、 「キャーーーーッ!!」 悲鳴とともに物が壊れる音が聞こえ、これは只事ではないと少年は悟った。 ちょうどその時、真っ青な顔をした女が邸から走り出て、藤丸を見つけるや叫んだ。 「ぞ、賊が! ひっ、姫様を・・・!!」 聞き終らないうちに、藤丸は水の入った桶を放り投げ邸へと向かっていた。 (賊だと?! 何故! まさか、亜季さまに…いや、姫さまって言ったな。というと、では…まさか赤ん坊がー!?) 邸へ着くと、藤丸はいてもたってもいられなくて、大人たちが止めるのも聞かず、亜季の部屋へと急いだ。 が、それは不意に阻まれた。 誰かが自分の腕を掴んでいたのである。 「は、離せーー!」 大声を出して抵抗したが力及ばず、見上げて藤丸はハッとした。 「や、夜叉王さま?!」 山の頭領たるその人は、今までになく険しい顔つきをして藤丸を見下ろしていた。 「いったい、何があったのですか!」 「落ち着け。藤丸」 「で、でも・・・」 問い詰める藤丸とは対照的に、夜叉王はゆっくりと口を開いた。 「落ち着くんだ。お前が慌ててもどうにもならん。・・・そしてよく聞け。・・たった今賊が忍び込み、こともあろうに赤ん坊をさらっていった・・・」 藤丸の顔がさっと変わった。 「な、なんですって?! それでは・・・」 「うむ。今部下を使って行方を捜させている」 「わ、私も参ります!」 「ならん! お前はここに残っておれ!」 夜叉王は鋭い語気で、少年の言葉を制した。 「何故ですか?! なぜそんなに落ち着いていられるんです? こうしている間にも姫君がどうなっているか分からないのですよ?! 夜叉王さまは心配ではないのですか!」 それを聞いた夜叉王は苦痛に満ちた顔で、藤丸の肩に手をおいて言った。 「藤丸。わしが本当に心配しておらんと思っているのか・・・?」 「!?」 「動きたくとも統治者たる者、自ら軽率に動くことはまかりならんのだ。分かるか? 藤丸」 「・・・・・・・」 先ほどの血気はどこへやら、少年はシュンとうなだれてしまった。 そんな藤丸を見、夜叉王は言葉をかけた。 「お前の気持ちは本当にありがたいと思う。 だが、お前が動くとかえって足手まといになるやもしれぬ。お前はまだまだ力が足らぬ。こうして黙って待つことも一つの試練であるとわしは思うが、どうだ?」 「で、では、亜季さまは・・・」 「・・・亜季は・・・今薬を飲ませて眠らせてある。一時は半狂乱だったのでな・・・」 そう言う夜叉王の顔は本当に悲しげであった。 藤丸は夜叉王の気持ちが痛いほど分かった。そして、先ほどの自分がいかにも軽率な振る舞いであったと反省した。 「藤丸。わしも本当は心細いのだ。わしと一緒に連絡を待っていようではないか。な?」 夜叉王のその言葉に、少年はうなづいた。 今自分にできることは、それしかないのだと知って。 しかし、しばらくして彼らの耳に届いた報は望んでいたものではなかった。 「なに?! では行方が分からんと申すのか?!」 夜叉王の前に二人の部下が控えていた。 「は。申し訳ございませぬ。賊は捕らえたのでございますが、姫君の行方はいっこうに・・・」 「はかせたのか?」 「は。奴らが言いますには、さらった姫君を布に包み抱えていたそうです。ところが、途中で我ら追っ手に追いつかれ応戦しているうちに、思わず手放してどこかへ落としてしまったらしいのです」 「よく探したのですか?! 第一赤ん坊だったら、その騒ぎで泣いているでしょう」 夜叉王のそばで聞いていた藤丸は声をはさんだ。 「はあ・・・。しかし、応戦している間はとてもそこまで・・・。なにせ強者どうしゆえ、捕らえるのも難儀だったのです。もちろんその後はよおく捜しました。しかしネコの子一匹見当たりませんでした。申し訳ございませぬ!」 部下の二人は息を切らしつつ床に平伏した。 「して、賊とは何者であったか」 「は。それが・・・」 そこで男達は言葉を濁した。 「かまわぬ」 「は。その者は殿と亜季さまのご婚儀に反対していた輩でございます」 「!」 それを聞いて驚いたのは、藤丸の方であった。 思わず夜叉王の方を振り返ったが、彼は驚くほど落ち着いていた。やはり知っていたのか、あるいは見当をつけていたのだろう。彼はこう言っただけだった。 「そうか・・・。いや、もうよい。さがれ」 一礼をして部下が出て行った後、夜叉王は深くため息をつき、傍らの少年へ話しかけた。 「やはり・・・わしが行くべきであったのだろうか・・・?」 藤丸は首を横に振った。 「いいえ、あの時の夜叉王さまはご立派でした」 真実、少年はそう思った。 夜叉王はフッと笑った。 (情けないものだ。自分が説教した子どもに慰められるとはな。・・・いや、いかんな。こんな弱気では・・・) と、気を奮い立たせて言った。 「姫のことについては、今後とも捜索を続けさせよう。必ず見つけ出す!・・・大丈夫だ。並みの赤子ではない。そう簡単にくたばるはずはない。・・・な?」 その言葉には希望が託されていた。 そしてそれは藤丸も同じだった。 「ええ、きっと無事でいます。運あらば誰かの手によって拾われているはず・・・」 夜叉王もうなづいた。 「うむ。だが、それにもまして気がかりなのは亜季のこと。今は眠っているが、目が覚めたらどれほど嘆くであろう・・・。それを考えるとわしは・・・」 「・・・・・・」 「藤丸、頼む。亜季の力になってやってくれ」 それは言われるまでもないことだったが、夜叉王の心中を察して少年は静かにうなづいたのだった。 |