4、名前と距離

亜夜加さんは、フルネームを「北条亜夜加」という。
まるで芸能人のような名前だが、彼女はそれなりに満足している。
そして日頃から名前負けしないように彼女は努めてきた。

そんな亜夜加さんを、最初川井くんは「北条」と呼んでいた。
「さん」ぐらい付けてくれと思わないでもなかったが、
他の少年らのように「あんた」とか「プロデューサー」と呼ばれるのに比べれば、
マシかもしれなかった。

「北条のおかげで順調ですよ」なんて、
なんだか他人行儀で寂しいなあ・・・と内心亜夜加さんはつぶやく。
そりゃ、ま、他人なんだけどさー。

ところがいつからだろう?
そう、たぶん亜夜加さんの誕生日からだったと思う。
それまで、数回ほど亜夜加さんは、川井君とデートならぬデートのようなものを繰り返してきたわけだが、その間に季節は冬から春へ、春から夏へ移り変わり、そして秋が深まった頃、川井くんは亜夜加さんのことをこう呼び始めたのである。

−亜夜加

あまりさりげなかったので、当の亜夜加さんさえ最初は気づかなかった程だ。
それに気づいた時は、亜夜加さん、くすぐったくてそしてちょっぴり嬉しかった。
なんだかすっごく親しくなれたようで・・・

亜夜加さんが何も言わなかったせいか、以来川井くんはそう呼ぶようになった。
PHSにかけた時なんか、以前は
「あ、北条。どうしたの?」だったのが、今じゃ
「あ、亜夜加だ。はいはい、なんでしょう!」なんて言うものだから、
初めて聞いた時、亜夜加さんは思わず噴出してしまったほどである。

それからもう一つ−デートの過ごし方が変わった。
以前は簡単な食事をして帰るパターンだったのに、
今ではその後もしばらく一緒の時間を過ごして、
お互いのことを語り合うようになった。

川井くんの趣味は読書で特にエッセイが好きだとか。
スポーツでは野球が好きだとか。
野球は人数が必要だから難しくて、最近じゃ壁相手のチャッチボールぐらいだとか。

「そうだ!今度亜夜加が相手になってよ。
そうすれば魅力がきっと分かるよ」

なんて言って、亜夜加さんを苦笑させた。
川井くんの楽しみの一つが、休日にママチャリで玉川上水までサイクリングにすることで、天気がいいとお気に入りの桜の木の下で昼寝をすることだとか。

家族の話も聞いた。
川井くんの家は両親と妹の4人家族で、お父さんは昔小さな会社の社長さんだったそうだ。
ところが、その後会社がうまくいかなくなってあえなく倒産。
その頃川井くんが生まれたんで大変だったそうだ。
けれど、お母さんも遅くまで働きに出て家族を切り盛りし、お父さんも今じゃタクシーの運転手におさまり、一家の借金もどうにか返せる状態になったという。
そんなわけで川井くんは小さい頃から、両親の代わりに妹の面倒を見て、家事とか手伝ったりしていたそうである。
彼の世話好き、家事がうまいのにはこんな理由があったのかもしれない。

けれど、そんな苦しい生活の中でさえ川井一家は愛情に包まれていた。
最初のクリスマスに亜夜加さんはこんな話を聞いた。


「僕の初めてのバイトはクリスマスの手伝いだったんだ。
近所の小さなお店だったから、手伝いといってもお小遣い程度でね。
それでも、初めてもらったお小遣いで何を買ったと思う?」

聞かれて、亜夜加さんは思いつくままに答えた。

「ケーキを買った?」

すると川井くん、大きく目を見開いて亜夜加さんの方を見た。

「すごーい!どうして分かったの?
そうだよ、駅前で見た時『これだ!』って思ったんだ。
イチゴののってる丸いケーキ。そしたら、家へ帰って驚いたよ。
だって、同じようなケーキが3つも置いてあったんだ」

「それは・・・笑っちゃうね」
亜夜加さんは微笑んだ。

「でしょう?考えることが同じすぎるよねえ」

そう言って川井くんも笑った。
けれど、すぐに穏やかな表情に戻り言葉を続けた。

「・・・苦しかったけど、全部食べたよ。
特に妹がお小遣いをはたいて買ってきたのは残せないよね。
さすがに父さんの買ってきたウエディングケーキみたいな奴は食べ切れなかったけど。
次の日、僕たちはみんな口内炎になっちゃった。
だけど、僕はなんだか嬉しかったなぁ。
家族がお互いを大切に思ってるんだって分かったから・・・」

その話を聞いた時、亜夜加さんは少し羨ましい気がしたものだ。
亜夜加さんは今一人暮らしだったし、そんな思い出もなかったから。
そんなことを考えていると、思いがけず川井くんが言った。

「亜夜加もクリスマスには大切な人に何かしてあげたいと思う?」
「え?うーんと・・・そうだねぇ。ごちそう・・・かなぁ」

亜夜加さんは見栄をはってそう言ってしまったのだけれど、

「亜夜加の手料理だといいなぁ。
・・・あ、僕の好みを言っても仕方ないか」

なんて、川井くんのつぶやきを聞いてしまっては、
す、少しはお料理習った方がいいかもしれない。
そう考えてしまった亜夜加さんであった。



5、CALL



亜夜加さんは決して仕事を疎かにしていたわけではない。

その証拠に、亜夜加さんがプロデュースするグループは確実に「Vキッズ」を追いつめていて、ソロでも仕事の依頼が多くなってスケジュールの調整に四苦八苦するほどだった。

だけど、亜夜加さんはきっと調子に乗ってたんだと思う。
川井くんが自分に懐いていることを。
だから、ついつい川井くんを誘う回数が多くなってもあまり気にしていなかった。
けれど、川井くんには迷惑だったのだ。

「・・・最近電話多いね。たまには僕も一人でゆっくり過ごしたいよ」

その言葉を聞いて、亜夜加さんはハッとした。
川井くんのためと思っていたけど、
実は自分が川井くんを振り回しているだけじゃないか。
自分は川井くんの何だろう?
自分はプロデューサーだ。川井くんはその商品だ。
彼をトップアイドルにするためにスカウトしたんじゃないのか?
面倒を見るということはそういうことだろう。
少なくとも、川井くんを束縛することではないはずだ。
亜夜加さんは自分の行為を恥じた。
そして、川井くんとの距離をおこうと思ったのである。


亜夜加さんが川井くんと会わない日がしばらく続いた。
そうして一ヶ月ぐらい経った頃だろうか。
突然事務所の電話が鳴ったのである。

「川井くんから北条さんあてに電話が入っています」

高橋女史からそう告げられ、亜夜加さんはドキリとした。
なぜって、川井くんからの電話なんて初めてだったから。
緊張しながら、亜夜加さんが受話器を取ると、

「もしもし・・川井です」

と懐かしい声が聞こえた。
懐かしいなんて、たった一ヶ月ぶりだっていうのに・・・
苦笑する亜夜加さんの耳に川井くんの声が響いた。

「ねぇ、亜夜加。よかったら今度遊んでくれない?」

そのセリフを聞いて、亜夜加さん一瞬言葉に詰まってしまったのだけれど、
なんだか川井くんの声が情けないほど切なくて、思わず

「いいよ」

と答えてしまっていた。
その瞬間

「ホント!?嬉しいなぁ。じゃ、いつにしようか!」

なんて、先ほどの声とは打って変わって嬉々とした声に転じた川井くん。
ゲンキンな奴・・・と亜夜加さんも思わないでもなかったが、
亜夜加さんだって実をいうと川井くんに会いたくてしかたなかったのだ。
仕方ないなぁ・・・と言いつつ、デートの約束をしてしまう。

でも、これでいいのかもしれない。
川井くんが気分転換したい時に役立つのなら。
会いたいって思ってくれた時に会えばいい。
亜夜加さんはそう思った。
以来、一月に一度ほど、川井くんから亜夜加さんへ電話がかかるようになった。





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