建暦三年五月――

ついに和田義盛が挙兵した。

これが、後に『和田の乱』と呼ばれる戦である。
この義盛の蜂起に伴い、三浦胤義が言ったとおり「北条討つべし」と各地の豪族が兵を挙げた。
横山党、土屋氏、山内首藤氏、愛甲氏、土肥氏、等−和田義盛方へ属した氏族の面々はまるで相模の武士団の一覧表を見るがごとく。
そして、その中にはあの三浦義村の名もあった。

「ええい、義盛め!さすがに一筋縄ではいかぬか」

御所の奥向きで、戦の情勢を知らされた将軍の母、北条政子は唸った。
その横で飄々と答えるのは、弟の義時である。

「まあ・・・相模の豪族がほとんど参戦しておりますからな」
「何をそなたは悠長なことを言っているのです。
聞くところによれば、あの三浦義村までが和田に加勢しているというではありませんか」
「それは何も不思議なことではないでしょう、姉上。
和田と三浦は同族なんですから」

「・・・・義時」
「何です、姉上」

「そなたには勝算があるのですね」
「・・・力では北条方は決して和田の軍勢には劣りません。もっとも・・・これ以上向こうが膨れ上がればどうなるか分かりませんが・・・」
「義時っ!」

そこで初めて義時は姉の顔を見据えて言った。

「姉上。私は軍師ではありませぬゆえ実際戦がどう動くかは見通すことはできないのです。そうなってほしいという希望はありますし、そのためにも力を尽くしますが、・・・人の心は捕えにくく、また計りがたいものですから」
「?」
「約定など、ただの紙切れ1枚ということですよ」

首をかしげる政子に、そう義時が呟いた時。

俄かに辺りが騒がしくなり、義時の前に慌しく使いの者が現れるや平伏した。

「申し上げます!三浦義村殿率いる全軍、突如和田の軍勢より離脱し、我らに加勢!
それにより形勢が逆転。次々と敵討ち果たし、このままいけば我らの勝利は間違いなしと思われます!」

この知らせを聞いた瞬間―
喜びともつかぬ震えを義時はその身に感じたのだった。





      ◇    ◇     ◇




『和田の乱』からしばらくたったある日―
執権北条義時は、御所の廊下で三浦義村とすれ違った。
お互い相手を目でとらえ会釈する。
先に言葉を発したのは義時のほうだった。

「これは三浦殿。先方の合戦の折にはご助力賜り礼を申す。
軍の采配、この義時感服いたした」
「礼には及びませぬ、執権殿」
「いや、しかし貴殿には辛い立場に立たせてしまった。
この義時のたっての申し出とはいえ・・・」
「『三浦犬は友をも食らう』・・・ですね?」

それは、同族であった和田義盛を戦半ばで裏切り、北条氏へ寝返った三浦の行動を揶揄した言葉である。
それを本人がサラリと言って笑むのだから、さすがの義時も二の句が告げなかった。

「北条殿が気になさることはありませんよ。確かに口うるさく言う者も多くいますが、さりとて私は間違った選択をしたとは思っていない」

そう三浦義村は言い切った。
そして、尚も言う。

「和田の叔父上は古い頭の持ち主で、世の流れを汲むことが出来なかった。
そんな叔父上と私のそりが合わなかったのは、執権殿もご存知でしょう。だからこそ密使を私に遣わされた・・・違いますか?
つまり、私もあなたも叔父上が目障りだった。
そして―あの合戦後、相模の武士団の中で生き残ったのは我ら三浦のみ・・・」
「・・・・・」
「執権殿が気に病むことはございません」


もう一度三浦義村は言った。

「なぜなら、私は三浦の家督として、私自身が決めたことですから・・・」


   邪魔者ヲ廃シ
       生キ残ルタメナレバ―


「・・・では、失礼つかまつる」

そう言って、三浦義村は義時の横を通り過ぎてゆく。
それを追う北条義時の目は険しいものであった。














その後―

北条氏の権力はますます強大になっていく。
その北条氏が幕府で独占的地位を確立するのは、数十年後―
三浦氏を滅ぼして後のことである。







《あとがき》
学生時代の卒業論文が三浦氏メインだったんで、思い入れがあり書きたかった話です(^_^;)
画力があれば、漫画でも描きたかったなあ・・・








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