次の朝、いつもならゆっくりと寝ているミナだったが、 その日はめずらしく「いの一番」に起きたのだった。 「そんなみっともない帽子をかぶって出かけるなんて・・・ 近所に恥ずかしいからやめなさい」 という母の文句も振り切って、出かける準備ができると、 すぐさま例の帽子を持ってミナは外へ飛び出した。 途中、道端であった人は怪訝な顔をしながらミナとすれ違ったが、 ミナ自身は平気だった。 なにしろ、嬉しくてたまらなかったから。 そんなミナがまず耳にしたのは、こんな声だった。 「まったく朝の空気は清清しいですなぁ、チュンチュン」 「その通り。 近頃車の排気ガスや工場の煙のせいで空気がよどんでいますからな。 昼間はとてもとても飛ぶことはできませんよ、チュン」 「全く全く・・・」 電線に止まっているスズメたちだったが、 早々耳の痛い話を聞いてしまったものだ。 (そうか、よく考えたら何も良いことばかり聞こえるわけじゃないんだな・・・) と、ミナはすこ〜しガッカリした。 もっとも、こんな帽子をかぶってるのは自分だけなのだから、 聞こえてもどうすることも出来ない。 仕方がないと気を取り直して、ミナは先に進んだ。 ところが、また嫌な場面に出くわしたのだ。 捨て猫である。 電柱の下に、『可愛がってください』とマジックで書かれたダンボール箱の中に 3匹の子猫がミャアミャア鳴いていた。 それは例のごとく、 「お母さーん、お母さーん。お腹すいたよ〜、どこへ行ったの〜、ひもじいよ〜」 と、聞こえた。ミナは耳を塞ぎたかった。 いや、帽子をとっても彼らの顔を見れば一目瞭然である。 (ゴメン!! うちは『タヌキ』だけで精一杯なんだ・・・) ミナは後ろ髪をひかれる思いで、走り出した。 だが、これだけではなかった。 目に映るのは、聞こえるのは、ミナにとって楽しくないことばかり。 保健所に連れて行かれる犬と、それを逃れて隠れている犬。 「助けてくれー!! どこへ連れて行くんだよう!! 嫌だよ〜!!」 「怖いな、人間って・・・あいつ、大丈夫なのかな・・・」 空き地では数匹野良猫たちが、日向ぼっこをしていた。 「ちょいと聞いとくれよ。角のたばこ屋の悪ガキがさー、 あたし自慢の長いヒゲを片方だけ切っちまったんだよ。 見てよ、コレ。みっともないったら、ありゃしない」 「あ〜、オレ知ってる〜。あそこのばーさん、子供にゃてんで甘くてさ。 オレがな〜んにもやってないのに、ホウキで叩き出すんだぜ。ひどいよ、全く」 そしてベランダから見えた鳥カゴの中の小鳥は、歌を歌っていた。 「一度でいいから〜♪ 大空を自由に飛んでみたい〜♪ そうよ〜狭い鳥カゴだけが〜唯一の私の世界〜♪ 誰か〜私を連れ出してくれる日を〜♪ 夢見る私〜」 どうやらその鳥は自分の歌に酔っているようだった。 にしても、その頃にはミナも既にうんざりしていた。 (なんで楽しいコトが聞こえるって思ったんだろう? こんな話ばかりなら聞こえない方がいいよ・・・) と思いかけたが、いやいやと首を振った。 (それは・・・違うよね。人間の勝手な言い分だよね。 ホントのことなんだから、目をそらしちゃいけないんだ・・・) とは言うものの、気が滅入ってしまうのは仕方がない。 (そりゃあ、みんな嫌なコトばかり聞こえるわけじゃないけど、でも・・・ いったい何のためにこの帽子は、あたしにこんなコトを聞かせているんだろう?) と、ミナはまるで帽子がそう意図したかのように考えてしまった。 ◇ ◇ ◇ いつのまにか、ミナの足ははじめて帽子を拾ったあの公園へと向かっていた。 そこへ行ってどうしようというわけでもなかったけれど。 公園にはさすがに日曜日だけあって、 昨日のように誰もいない・・・なんてことはなく、 たくさんの子供たちが遊んでいた。 ミナは乗り手のいないブランコに座ると、なんとなく目の前の子供たちを眺めていた。 歓声をあげてジャングルジムに上っている子、 ズボンに破れてしまうぐらい何度も何度も滑り台をすべる子、 砂場で一生懸命トンネルを作っている子、など、見ていて微笑ましい限りだ。 (懐かしいなあ・・・あたしもあんな風に遊んでいたんだ・・・) ミナはふと目を閉じて小さい頃の情景を思い浮かべた。 (そういえば・・・小学校の1年生だったかな?2年生の時だったかなあ?? 国語の時間に『くじらぐも』の話を実際にやったんだよね・・・) 『くじらぐも』っていうのは鯨の形をした雲のコトで、 お話の中で子供たちはジャングルジムに上って 「くじらぐも」に呼びかける・・・というような話だったと思う。 それをミナ達は劇ではなく実際にやったのだ。 たぶん、先生の呼びかけだったのだろうけど。 国語の時間に校庭に出て、みんな競ってジャングルジムに上った。 もちろん「くじらぐも」なんて空にはなかった。 だけど、ミナ達は一斉にその空に向かって叫んだのだ。 『おお〜い、くじらぐも〜!!』 『天まであがれ!1・2・3!』 『さよ〜なら〜、くじらぐも〜!!』 今思うと、めちゃくちゃ恥ずかしい気がするけれど、 その時はみんな真剣に手を振っていた。 お話の子供たちと同じように・・・ 「くじらぐも」が喋ってもちっとも不思議じゃなかった世界。 (・・・ああ、そうか・・・すっかり忘れてた・・・) (昔は花も木も動物もみんな友達だったんだ・・・言葉なんていらない。 聞き耳帽子をかぶって、 自分一人だけの耳に動物の声が聞こえる方がヘンなのよ。 だって、こんなモノ本当は必要ないんだもの) 今まで晴れなかった心が嘘のように澄んでいくのを、ミナは感じていた。 本当は聞き耳頭巾がなくても、聞く耳さえあれば、誰だって聞こえるのだ。 だけど、自分の都合の悪いことに耳を塞いでいるうちに、 いつのまにか聞こえなくなってしまったのではないだろうか。 だから、『聞き耳頭巾』なんてものが存在する。 忘れてしまっても人間は自然と語りたいのだ。 (そういう気持ちが、聞き耳頭巾を生んだのかもしれないな・・・) ミナは目を開けた。光が眩しい。 子供たちは相変わらず元気に遊んでいる。 (帽子を返そう!) ミナは思った。少し残念な気がするけれど、それより何より、 これからは何でも耳を傾けてみようと思う。 もう一度、子供の耳に、子供の目に戻って、世界を見てみたい。 そうすれば、また新たな世界がはじまると思うから。 「あ・・・・!」 その時、突風がミナを襲い麦藁帽子を攫っていった。 ミナはそれを追うことなく、黙って見つめていた。 きっとどこかで誰かがあの帽子を手にすることだろう。何度も、何度も。 もしかしたら、永久に持ち主が定まることはないかもしれない。 飛んでいった帽子は、日に映えて金色に輝いて見えた。 今にも宙に溶けそうな帽子に、ミナは最後の別れを告げた。 ――ありがとう。 大切なコトを思い出させてくれた、あたしの『聞き耳頭巾』――― |
完 |