〜君がため〜


陰陽師といえば、京にこの人あり。

そう謳われている人がいるという。
名は安倍晴明−
知っているのはそれだけだ。
そもそも「陰陽師」というもの自体よく分からない。
だが、とにかく賢くてすごいことが出来る人らしいというのは、泰明さんを見ても分かる。
その泰明さんのお師匠なのだから、きっともっとすごい人なんだろう。
自分の話なんか聞いてはもらえないかもしれない。
そう思いながら、あかねは泰明に内緒でここ−晴明の邸までやってきたのだが。

「あなたが龍神の神子ですね?弟子の泰明がお世話になっております」

と、自分より年下の娘に向かって丁寧な物言いをする人は、
とても評判のえらい人とは思えなかった。

あかねは不思議な気持ちで、晴明と向かい合った。

「あれはあなたのお役にたっておりますか?」
「はい、それは。しっかりした人ですから・・・私はいつも叱られてばかりいます」

あかねが赤くなりながらそう言うと、
晴明は面白そうに目を細めた。

「それはそれは・・・。さぞきつうございましたでしょう」

その意味するところは、泰明の言い方のことである。
ピンときたあかねはクスクス笑いながら、首を振った。

「はい、でも、あれが泰明さんなのだと今では思っていますから・・・」
「なるほど、さすがは神子。
まあ、そうでなければ八葉を束ねることなどできないでしょうが・・・
その神子が、なぜわざわざ私邸に足をお運びくださったのでしょうか」

本当に疑問に思っているのか、涼しそうな顔で晴明は言った。
そこで、あかねはようやくここへ来たわけを語った。

「はい、実は・・・泰明さんのことを聞きたくて・・・」
「と、言いますと?」
「はい、あの・・・泰明さんは私に言ったんです。
晴明さんに−あなたに作られたモノだって・・・人ではないモノだと。
 それで・・・彼は苦しんでいました」
「泰明があなたにそう言ったのですか?」
「はい。・・・いえ、彼は淡々と語っているだけでしたが、私には苦しそうに見えたんです」
「・・・・・」
「ほんと言うと、私は今でも信じられないんです。
・・・泰明さんが人間じゃないってことが」
「神子」

それまでおだやかに話を聞いていた晴明は、
あかねの瞳をまっすぐに見つめた。

「神子。人間かそうでないモノかが、さほど重要なことでしょうか?」
「え?」
「この世の中に存在するのは人間ばかりではありません。
花や木や虫や石などの自然なものばかりでなく、
人間が作った物を含むすべてのものにも、魂は宿っております。
そして、時にはそれらは人の形をとることもありましょう。
それは決して不思議なことではないのですよ」

諭すように語る晴明の言葉に異を唱えることはできなかったけれど、
あかねはそれでも何か納得できなかった。
そうではない。
言ってほしいのはそういうことではないのだ。
あかねは途方にくれた様子でポツリと言った。

「・・・でも、泰明さんは人になりたいと・・・そう言って・・・泣くんです・・・」
「なるほど」

ようやく晴明は言った。

「それで、神子は私にどうせよと?」
「どうって・・・泰明さんの生みの親として何か力になってもらえたらと思って・・・」
「神子。申し訳ないが私があれにしてやれることは何もないのですよ」
「どうして?泰明さんのことを一番知っているのは晴明さんでしょう?」
「さて、本当に知っているのかどうか・・・」
「どういうことですか?」
「泰明は泰明ということですよ」
「??」
「では、少し昔話をいたしましょう」

そう言って晴明は語り始めた。




             ◇      ◇      ◇



・・・二年前、晴明が北山の天狗と術を合わせていた時のことだった。




突然あたりに光が満ち、一瞬空間が歪んだかと思うと、、
彼らの足元にいつのまにか少年が一人倒れていたという。

晴明は驚きつつも、気を失っていたその少年を邸につれて帰り介抱したが、
意識を取り戻しても彼は自分のことも何もかも語ることはできなかった。
記憶を失っているのか・・・生まれた赤子のようにこの世のことを何一つ知らなかった。

  ・・・それが泰明だったという。

誰かが迎えに来るという気配もなく、世話をしているうちに晴明にも情が湧いてきて、
これまで弟子として面倒をみてきたが・・・。

しかし、晴明は驚いた。
なぜなら、大の大人でも難解な陰陽の教えをたかが二年足らずで、
地に水が染みこむ如く、泰明は頭の中にいれ実践できたのだから・・・

さすがの晴明も人ではないと末恐ろしく感じたという。

語り終わった晴明に、あかねは身を乗り出した。

「じゃあ、泰明さんは・・・」
「人なのかもしれないし、人でないのかもしれない」
「そう・・・ですか」

一瞬にして落胆してしまったあかねに、晴明はなおも語った。

「神子はこんな話を聞いたことがありますでしょうか?
この世は唯一つのものではなく、いくつかの層に分かれてそれぞれ異なった世界が同時に存在しているといいます。神子がいたといわれる世界もその一つでありましょう。
それが時折重なり合い、本来ならば出会うことのないモノどうしが出会う場合があるのです。
それは怨霊であったり、神々であったり・・・神子もそうなのでしょう。
ですから、泰明ももしかしたらその中の一つの世界から迷い出たモノかもしれません。
・・・が、あくまでも推測です。少なくとも、怨霊でも鬼の類でもない。
泰明は私にとっても未知なる存在なのです」
「・・・・・」
「私にとって泰明は泰明でしかない。神子、あなたはいかがですか?」

晴明が静かに問うと、
しばらく考え込んでいたあかねはゆっくりとうなづいた。

「そう・・・ですね。私にとっても泰明さんは泰明さんの何者でもない。
人であってもなくても泰明さんに変わりはないんですから。
それは・・・わかります。
・・・ホント言うと私はどちらだっていいんです。
泰明さんさえそばにいてくれるなら・・・」

いつか壊れてしまうかもしれない。
いつか朽ちてしまうかもしれない。
人ではないと言い切る泰明さんが、その言葉を口にするたびに、
身を切られるような苦しく切ない思いをした。
でも、それは自分も同じことだろう。
この異世界に召喚された自分もまた京の「人間ではない」のだから。
詭弁かもしれない。
だけど・・・泰明さんが泣いているのは・・・


「でも、晴明さん。好きな人と同じ立場になりたいと、
同じ思いを分かち合いたいと思うのは自然なことでしょう?」

あかねが真剣な顔でそう言うと、、晴明ははじめて微笑んだ。

「ふふ・・・そうですね。神子、やはりあなたは・・・」
「?」
「いえ、なんでもありません。
しかし、本当に泰明は果報者だ。神子、これからも泰明のことをよろしく頼みますよ」
「あ、いえ・・・こちらこそ」

なんだかうまくはぐらかされたような気がしないでもなかったが、
それ以上長居をしても話は進展しそうにないと思い、あかねは晴明の邸を後にした。
だが、不思議とがっかりした感はなかった。
むしろ、あかねの心にはなんだかふっきれたような妙な爽快感があった。

あの人が、泰明さんのお師匠さん。
何もできないと言っていたけれど、やっぱり泰明さんのことを心配していた。
なんだか、それが嬉しい。
泰明さん、あなたは一人じゃないんだよ。
あなたを愛している人はちゃんといるんだよ。
だから・・・ね。泣かなくてもいいんだよ。

そんなことを思いながら、あかねは藤姫の館へと向かったのだった。



          ◇  ◇  ◇



「今、来ていたのは・・・神子か?」

師匠の邸にあがり、開口一番に言ったのは、その科白だった。
晴明は苦笑しつつ、美貌の弟子を眺める。

「よく分かったな」
「気配で分かる」
「ほう」
「『八葉』は神子の盾となり、剣となる者。
守るべき存在を感知できなくて、八葉の務めは果たせぬ」
「・・・そこまでは聞いてはおらぬが、なるほど」
「何をしに来た?」
「『八葉』でもそこまでは分からぬか」
「私は神子ではない。神子の考えることまでは分からぬ。
しかも神子は時折不可解なことを言うのだ。
今は理解できることもあるが、まだまだ分からぬことの方が多い」

それを聞いて、晴明はくっくっと笑った。

「神子はな、お前のことを案じてわざわざ私に相談しに来たのよ」

泰明は怪訝な顔をした。

「私がどうかしたのか」
「ああ、お前が泣いて困るとな」
「・・・私は泣いていない」
「神子がそう申していたぞ」
「泣いてなどいない!」

そう言って、泰明はプイと横を向いた。
やれやれと晴明がため息をつくと、
いつのまにか泰明が不安気に自分を見ているではないか。

「・・・私は神子を困らせてしまったのだろうか」

その呟きに晴明は驚愕した。
こんな心細げな表情も初めて見るのだ。
大人の弟子たちに囲まれても、
どんな怨霊と対峙していても
いつも凛としていて表情を崩さなかったこの青年が
今はこのように無防備な顔をさらしているのだから。

晴明は優しく泰明の肩を叩いた。

「神子はそなたのことが大切なのだよ」
「大切?」
「そう、慕っている・・・愛しいという感情にも通じる言葉だ」
「愛しい・・・ならば分かる」



そう言って、やっと泰明は笑った。
そうして安心したように部屋を出て行く弟子の姿を見つめながら、
晴明は今更ながら気づいたのだ。

「そうか・・・そなた、封印が解けたのだったな・・・」

それもまた、泰明のことを案じて施した呪い。
だが、それももう必要ない。
これからは、あの神子が泰明の欠けていたものを満たしてゆくだろうから。

「龍神の神子は、泰明に幸福をもたらす相をしている・・・か。
天狗の言ったとおりだな・・・」

晴明は微笑みながら、そう呟いた。