〜湖の奇跡〜


聖地。
それは、銀河の中心にある主星上に存在するという、外界とは時間の流れさえ異なった次元の違う特殊な空間。
宇宙の運行を司る女王と彼女を支える守護聖たちが住まう場所。

来るまでは、どんな居城や要塞があるのだろうか、
などと彼にしてはひどく世俗的な想像をしていたのだが。
やってきてみれば、なんとのどかな美しい風景なのだろうと感嘆した。
いたるところに森や湖が散在し、小鳥や小動物さえも悠然と暮らしている、
そんな自然豊かなところだったのだ。
おそらくこの宇宙が始まって以来、ここだけが何も変わっていないのではないかと錯覚を起こさせるような独特の空気があった。

そして、第257代女王の御世。
新宇宙の女王候補を指導する教官として
一人のたぐいまれな才能をもつと言われる青年芸術家が
その聖地に召喚されたという。




      ◇      ◇     ◇




セイランがそこを見つけたのは、休日に絵を描くために聖地を散策していた時だった。
別に何を描くと決めていたわけではない。
気の向くまま、気になるものをスケッチするだけで彼の感性はさらに磨かれていく。

さすがに、まだ聖地にやってきてまもなかったが、
ここでは迷うことはないだろうと思われた。

(いや、確か『迷いの森』というところがあると、
ルヴァさまはおっしゃってたっけ・・・)

そこだけは決して近づかないで下さいね〜と、
緊張感のない口調でくどいほど言っていたので覚えている。
なんでも一度迷い込むと、心の迷いに惑わされて抜け出せなくなるといういわくつきの森だ。

彼はクスリと笑った。
女王の司る聖地でも、そんな危うい地があるのかと思うと、なんだかおかしかった。
女王とて関与できない場所があるということか。
好奇心旺盛な彼にしてみれば、その迷いの森とやらにも入って自分の迷いとかに直面してみたいような気がしたが、さすがに出られなくなって人に迷惑をかけてしまうことは避けたかった。
自分はもう気ままな身分ではない。

いや、自分ではどんな肩書きでさえ気にはならないが、今はそう、女王候補を指導する立場にいるのだから軽率な行動はとれない。

(宮仕えもめんどうくさいな・・・)

そんなことを考えているうちに、森の中の湖に出たのである。
聖地にはいくつか湖があるときいていたが、
ここはどうやらその中でも名所のようである。
美しい滝が目の前に見えるのもその1つではあったが、何より。

「あ、失礼・・・・」

なぜか、カップルがたくさん愛を語っていたのだ。
いわゆるデートスポットというやつだろうか。
彼らはセイランを見るや、男女とも顔を赤く染め、そそくさと立ち去った。

妙な愁波を受けた気もしないではなかったが、
セイランにとっては邪魔者がいなくなってせいせいとして、
一人きままにその美しい景色をスケッチし始めたのだった。




             ◇      ◇      ◇



『やあだ、セイランさま。
それって《森の湖》ですよ。
知らずに行ったんですか?』


セイランから話を聞いた女王候補はコロコロと笑いながらそう言った。

『そのまんまのネーミングじゃないか』

彼がツンと答えると、彼女はさらに笑った。

『じゃあ、ホントにあの話も知らないんですね』


そう言って、彼女は自分に教えてはくれたけれど。

(面白くない・・・)

彼は不機嫌だった。
彼女に笑われたことに対してではない。
彼にしてみれば、だからなんだという気持ちの方が強かっただけだ。


あの場所がなんて呼ばれていようが、デートスポットだろうが、彼には関係なかった。
ただ、もう1度尋ねたいと思った場所であることには変わりがない。
それなのに、なんだか余計な知識を植えつけられたみたいで、イヤな気分だった。


「そうさ、この雄大な自然の前には
人間が作った言い伝えなんてちっぽけなものさ」

彼は再び目の前に広がる湖を眺め、そう評した。


「この湖の滝の前で祈ると会いたい人に会える、だって?」

彼はククッと笑った。

なんでそんなめんどうなことをする必要があるのだろうか。
会いたかったら会いに行けばいいじゃないか。
それとも、「会える」というのは
この世では会えない人をも含むのだろうか。
それだったら、認めてやってもいい。


だが、それを確める気にもならなかった。
彼にとってはどうでもいいことだからだ。

幸い、今日は邪魔なカップル達はいない。
彼は湖のほとりに腰をすえ、気の向くまま筆を走らせることができた。
そうしていつしか日は傾き始め、あたりは金色の光に包まれる頃となった。
湖面では光が反射し、キラキラと輝き始め、次第に広がってゆく。
それはまるで翼を広げたような美しく荘厳な光景であった。

セイランは目を細め、それらを満喫していたが、
そのとき不意にデジャヴを感じた。

金色の荘厳な光・・・ひろがる翼

いつかもあったようなこの、感じは−



「!?」




思わず、口を押さえた。
そう、敬愛するあの少女に似ているのだ。
そしてその彼女に会いたいと思う自分がいて。
それに気が付いた途端、
彼はうろたえ頭に血がのぼるのを感じた。

と、その時。

「あら、そこにいるのはセイランなの?」

背後から声がかけられ、彼はまたもや絶句した。
なぜならそこには。

「陛下!?」

たった今頭に思い描いた少女がそこに立っていたのだから。
もちろん、女王の正装ではなく
初めて公園で会ったときのようにごく普通の
一般人と見間違えるような姿ではあったが。

(ど、どうしてこんなところに・・・・?!)

今度こそ、彼は驚愕した。
おかげで何を言っていいかとっさに浮かばない。

「あの・・・セイラン。どうかした?」

心配そうに自分を覗き込む少女の言葉に
彼は我に返った。

「す、すみません。なんでもないんです。
まさか陛下に、こんなところで会うとは思ってもみなかったので・・・」

視線をそらせながらなんとかそう言うと、
女王アンジェリークはくすくすと笑った。

「そうよね。私もびっくりしちゃった。
まさかセイランに会えるなんてすっごい偶然ね。
セイランは・・・絵を描きに来てたのね」

言いながら、アンジェリークは草の上にちらばる画材を眺めていた。

「ええ、その通りです。・・・が、あの・・・・」
「なあに?」
「陛下はまさかお一人でこちらに?」
「え?ええ。もっとも向こうで待っている人はいるから大丈夫よ」

心配をしていると思われたのだろう。
お忍び前科があるから当然ではあったが、
自分の聞きたかったことはそういう意味ではなかった。

「そう・・・ですか。それでは陛下はどうしてここに?」

それは先ほどから気になっていたことで。
緊張しながら彼が返事を待っていると
彼女は困ったように微笑んで、こう答えたのだ。

「ごめんなさい。それは内緒なのv」

それはあまりにも拍子抜けするものだった。
しかし、まさか問い詰めるわけにもいかず、彼はひきさがることしかできなかった。
そう、たとえどんなに気になろうとも。
たとえ、彼女が言い伝えにすがってやって来たとしても。
彼にはどうすることもできない。

「そうですか・・・。それじゃ僕はお先に失礼しますよ」

彼は一息つくとアンジェリークに一礼をして、
画材を片付けるや、その場からそっと立ち去った。
一度も振り返らずに。

その動作は他人にはひどく冷静に見えただろうが、
彼の心はどうしようもなく高揚していた。
それは言い伝えの成就のせいなのか。
それとも・・・







「は、まいったな・・・・」



しばらくして。
彼がつぶやきながら空を見上げると、
そこにはすでに美しい星が瞬いていた。





Fin






2006.5.4UP