〜Rainy Day〜 


その日は、朝から今にも雨が降りそうな雲行きだった。
そういう日は誰でも出かけるのをためらってしまうものだ。
ましてや、雨が降るとわかっていて出かける者は
当初からの予定か、よほどの大事か、火急の用だろう。

そして、そんな日に彼はやってきたのだ。
美しい金の髪に雨のしずくをしたたらせながら
緑の守護聖がアンジェリークの元を訪れた。

本来ならば先触れをし
もしくは衣服を整えた上で女王陛下に謁見を願うべきだったが
有能な女王補佐官の計らいで、公にもならず彼は無事女王の私室に通された。

ぬれそぼる彼の姿を見たアンジェリークは、ひどく驚いて風邪をひいては大変と
彼のためにさっそく暖かい部屋とお茶と、そして着替とタオルの用意をさせたのだった。






           ◇        ◇        ◇






「いったい、どうしたの?
何かあったかと思ってびっくりしちゃったわ」

マルセルの髪を乾かしながら、アンジェリークがさりげなくそう言うと
マルセルはふと瞳を伏せた。

「ごめんね。・・・ただ、急に君に会いたくなって。
・・・迷惑だった?」

アンジェリークは赤くなりながら、ため息をつく。
そんなこと思うはずがないのに、わざとそんなことを言うなんて。
しかも、上目遣いに言うなんて。

「もう、そんなわけないでしょう。来てくれて嬉しいに決まってるわ。
ただ・・・そうね。天気のいい日ならもっとよかったのに、とは思ったけれど」

そうしたら、一緒に庭を散歩できたかもしれないし。
こんな・・・髪がぬれることもなかったのに。

けれど、マルセルはそれに答えることなく
ゆっくりと視線を窓辺に移した。

アンジェリークのほうも、答えを求めて言ったわけではないから
返事がなくても気にはしなかった。
ただ彼女が気にしていたのは、いつもと違うマルセルの様子だった。

本当のことを言えば、ロザリアから訪問を知らされた時
聞きたいことは山ほどあった。

どうして、こんな日に来たの?
どうして、ぬれていたの?
どうして、思いつめた顔をしていたの?
どうして・・・今日会いにきてくれたの?

けれど、アンジェリークは彼の姿を見た途端、どうでもよくなった。
会えただけで嬉しくて
自分の顔を見て、心底ホッとしたような笑みを見せてくれただけで
胸が高鳴った。
そうして、こんなにも自分は彼を待っていたのだと再認識する。
もちろん、気にならないといえば嘘になるけれど、
話してくれるまで待とうという気持ちの余裕も信頼もあったから
無理に問い詰めることをしなかった。





「雨、やまないね・・・」

マルセルの声に、アンジェリークは我に返る。

「え?ええ、予報では夜まで降るらしいわ」
「そうなんだ・・・」

がっかりしたとも惜しむとも区別がつかない抑揚のない声に
アンジェリークは小首をかしげ、不意に思わぬ言葉が口をついて出る。
「雨は・・・嫌い?」

我ながら妙な質問だったと思う。
雨が嫌いならこんな日に来るはずがないというのに。
そう思って、返事を期待せずにいた。

ところが、マルセルは振り向いて。
「・・・君は?」
一瞬、アンジェリークの動きがとまる。

「私?私は・・・そうね。嫌いじゃないわ。雨の音は優しいからよく眠れるし」
アンジェリークが答えると、マルセルはかすかに微笑んだ。
「そうだね、静かな雨音は優しいよね。でも・・・」
「でも?」

マルセルは首を振った。
「ううん。ホント言うとね、昔は雨の日が嫌いだったんだ。
外に出られなくてつまらなかったし。・・・なんていうか、すごく損した気分になって」
「今は違う?」
「そうだね、今は違うよ。雨は緑が育つ大切な要素だってわかるから。
雨は嫌いじゃない。
むしろ雨あがりの青い空を見るのが好きになったかな。
雨上がりに日が射して
目に映る木漏れ日はまるで君の髪のようにキラキラと輝いて・・・うっとりする」

そこまで言って、急にマルセルの口調は重くなる。

「だけど、風が吹くとね・・・イヤなんだ」
「どうして?」
「だって風が吹くと、静かな雨の日が途端に嵐になってしまうでしょう?
そうして嵐は生き物の命を奪う凶器にもなるんだ。
ううん、それよりも怖いのは・・・」

マルセルは自分の髪に触れるアンジェリークの手を止め
彼女と向き合った。

「ねえ、アンジェ。覚えてない?君が女王候補になる前のこと。
聖地の外では嵐だったというよ?」

まるで出会った頃のようなマルセルの口調に懐かしさを覚えながらも、
うながされアンジェリークは記憶を辿る。
もうずいぶん前のことだ。

女王候補に選ばれる前・・・
スモルニィ女学院にいた頃―
そして・・・嵐?

「そういえば・・・。
たしか・・・急に突風が吹いたり、雨が降ったりしてたわ。
いきなり空が黒い雲に覆われて、雷が鳴ったり稲妻が空一面に走って・・・
綺麗だったけれど、怖かった。
ええ、確かに天気は不安定だった気がするわ」

アンジェリークが思い出したようにそう言うと
マルセルは大きく頷いた。

「やっぱり、そうだったんだね・・・
その頃、実はこの聖地でもイヤな風が吹いてたんだ。
それって、ホントはありえないことだったんだよね。
その時僕は知らなかったけど、女王陛下のおさめるこの聖地では、めったに天気が荒れることはないんだって、ルヴァさまから聞かされて・・・」
「今思うと、それは女王陛下のお力が衰えて、
宇宙の均衡が崩れてきていた前兆・・・だったのね」
「うん・・・
だからね、それを知って以来、僕はこの何気ない生活に感謝している。
朝起きて窓を開けて、そこから見える何気ない景色に。
青い空も、日の光も、頬をなでる風も、時には落ちる雨さえ、

《女王陛下》に見守られているこの世界すべてを愛しいって思うんだ」

マルセルは両手で、アンジェリークの手をそっと包み込む。
そして真剣な眼差しでアンジェリークを見つめた。

「でもね、それ以上に僕は今祈ってる」
「祈ってる・・・?」

「うん、いつまでもこの聖地に《嵐》が来ませんようにって」



その強い視線と祈りを込めた言葉の響きに、アンジェリークは戸惑った。
単純に考えれば、女王の御世が長く続くこと―
もちろん、それは女王を囲む誰もが願っていること、だ。
けれど、彼の口から発せられた言葉はたぶん他の誰とも違う
そんな気がして。


もしかして・・・

アンジェリークの瞳は大きく見開いた。





だから、なの?








だから、来てくれたの?







私を、心配して?







それとも、不安になって?





長い長い沈黙のあと―
アンジェリークは瞳をうるませながら、
マルセルの胸にコツンと額を寄せた。
「それだったら、私だって・・・ずっと祈ってるわ」

そうつぶやくアンジェリークの耳元で
マルセルはそっと囁いた。
「なんて?」


「嵐の前に、この聖地の《緑》が枯れませんようにって」




その言葉を告げた瞬間―
アンジェリークは抱きしめられていた。




―胸が、震える。




こんなに幸せなのに・・・
どこまで人は貪欲になれるんだろう。

想いが通じても
いつまでも不安は消えない・・・


こんなに好きなのに―










「ずっと・・・一緒にいたいよ・・・」





                絞りだすような声が響いて―





鼓動が、重なる。







そして―




                この瞬間がとても


                         ・・・愛しかった。




Fin







2007.11.11UP