眠りの森の・・・
ポロン・・・ポロロン・・・ ハープの音色が、ゆるやかに「水の館」の庭園で流れていた。 リュミエールがそれを奏ではじめた時 その隣で聞いていたはずのアンジェリークは いつしか瞼が重くなり いつのまにか眠り込んでしまっていた。 「アンジェリーク・・・?」 リュミエールはそれに気がつくと、手をとめ 自分の羽織っていたショールでアンジェリークをそっと包み込んだ。 けれどそれでも起きない、その寝顔は本当にあどけなく リュミエールはクスリと笑う。 「ふふ、とても未来の女王とは思えませんね・・・」 もっともアンジェリークかロザリアか 現段階ではどちらが女王になるのかわからない。 けれど、その可能性は半分。 もしかしたら、この目の前の少女が女王になるかもしれない そう思うと感慨深いものがある。 しかも、このように無邪気に自分の前で眠っているのだから リュミエールは不思議な気持ちさえしていた。 だがそんなことよりも、今は。 「そうですね。 このままでは風邪をひいてしまうかもしれませんから・・・」 そうつぶやいて、彼は迷うことなく眠るアンジェリークを抱き上げると 館のほうへ静かに歩いていった。 ハープはまた後で取りにくればいい・・・ そう、考えながら― ◇ ◇ ◇ 「す、すみません! リュミエールさまっ////」 数時間後― 目を覚ましたアンジェリークは 真っ赤になって謝っていた。 「せっかく私邸に招待してくださったのに 私ったら眠りこけちゃうなんて・・・ それにそれに。 おまけにリュミエールさまのお手を煩わせてしまったなんてっ」 ああ、穴があったら入りたいっ 火照る頬を両手で隠しながら、アンジェリークは泣きそうな顔になっていた。 なにせアンジェリークはいつのまにか客室で寝かされていたのだ。 眠る前は確かに庭園にいたはずなのに。 なぜ!? そうして聞けば、リュミエール自身が抱いて運んできたというから 驚くやら恥ずかしいやらで、恐縮することこの上なかった。 そんな彼女に、リュミエールは首を振る。 「謝ることはありませんよ。アンジェリーク あなたは慣れない女王試験で、疲れていたのでしょう? わたくしは、あなたに安らいでほしくてお招きしたのですから ゆっくり休めたのならそれでいいのですよ」 「リュミエールさま・・・・で、でも私・・・」 なおも肩を落とす彼女に リュミエールはそっとためいきをつく。 「いいえ。あなたがそんな風に自分を責めるのでしたら わたくしもあなたに謝らなければなりません」 「え?ど、どうしてですか?」 アンジェリークが驚いて顔をあげると リュミエールは申し訳なさそうに答えた。 「実はあの曲は、私の故郷の子守歌なのです」 「・・・ええ?!子守歌・・・!?」 「ええ、ですから。 あなたが眠ってしまってもおかしくないと思うのですよ」 気遣ってそう言ったつもりだったが アンジェリークはなぜだか複雑そうな顔をして しばらくの沈黙のあと、つぶやいた。 「それは・・・そうかもしれませんけど・・・・」 「え?」 「あ、いいえ!な、なんでもないです。けど・・・」 こんなのって、ありえない・・・ せっかくせっかく、おめかしをしてやってきたというのに。 リュミエールさまと二人で素敵な時間を過ごせると思ったのに。 子守歌で眠っちゃうなんて・・・子供みたい・・・ ため息をつきながら、1人でブツブツ嘆くアンジェリークに リュミエールはしばらく言葉を失い そして・・・軽く噴き出した。 「リュミエールさま!? 」 「す、すみません。アンジェリーク あまりに貴方が可愛らしいことをおっしゃるものですから、つい・・・ それほどまでにわたくしとの時間を楽しみにしてらしたのですね。 光栄です。 それでは、こうしませんか? 貴方の都合のいい日に、またこちらで一緒に過ごすことを わたくしはお約束しましょう。いつでも歓迎いたしますよ」 にっこりと笑って、そうリュミエールが提案すると アンジェリークの顔はパッと明るくなった。 「ええっ、本当ですか!?」 「ええ」 「じゃ、じゃあ、またハープを聞かせていただけますか?」 「ええ、もちろんです」 「やったぁ!とっても嬉しいです、リュミエールさま!」 さっきまで泣きそうになっていた顔がもう笑顔になって その移り変わる様に、リュミエールは思わず瞳を瞬かせた。 なんというか、その、あまりの素直さに驚いてしまって。 裏がない、とでもいうのだろうか。 そのせいか、ごく自然に次の約束まで交わしてしまった。 たぶん、自分はこの少女を喜ばせたいのだと思う。 そんなことを言うと、また誰かに 「だから、お前は甘いんだ」と言われることだろう。 けれど、それでもいいとさえ思うのは アンジェリークが去った後も、次の機会を思うと いつのまにか浮き足立っている自分に リュミエール自身が気付いてしまったからかもしれなかった。 ◇ ◇ ◇ そうして、いつのまにか日々が過ぎ ようやく約束が果たされたのはずいぶん経ってからだった。 「お邪魔します、リュミエールさま」 「待っていましたよ、アンジェリーク。今日は、新しいハーブティーが手に入ったので、あなたのために用意して待っていたのですよ」 「わぁv ありがとうございます、リュミエールさま。じゃあ、ちょうどよかったかも。・・・あの、これをどうぞ。私クッキーを作ってきたんです」 「これをわたくしに? ありがとう、アンジェリーク。ふふ、とても美味しそうですね。それではさっそくいただきましょうか?」 2度目の訪問とはいえ、やはり緊張しているらしいアンジェリークを、リュミエールは微笑ましく思いながらゆっくり館の中へと案内した。 そうして他愛ないおしゃべりの後、前回と同じように食後は庭園で、リュミエールがハープを聞かせることになったのだが。 「愛の歌、ですか・・・?」 リュミエールが曲の要望を尋ねると、思いがけずアンジェリークが一番に口にしたのはそれだった。 「はい!・・・あの、ダメ・・・ですか?」 遠慮と期待が入り混じった瞳で見つめられ、リュミエールは一瞬動揺したが、それを表に出さず微笑する。 「いいえ、ダメというわけではありませんが・・・ ふふ、そうですね。それではこの曲を貴方に贈りましょうか」 そう言ってリュミエールは噴水の縁に腰をおろし いつものように奏で始めた。 ポロンポロン・・・ポロロン・・・ 繊細な指の動きとともに 切なくなるような甘い響きが空気を包んでいく。 アンジェリークはドキドキしつつも、うっとりと眺めながら曲を聴いていた。 だが、いつのまにか夢心地になっていて― いけないいけない、今度はちゃんと起きてないと・・・ と思うが、あまりの心地よさに瞼が重くなる自然現象に逆らえない。 そうして ・・・・・・・・・・ ・・・・・・ ポロン・・・ 気がつけば・・・ やはり眠り込んでしまったらしい。 最後の旋律を弾き終わったリュミエールの隣には すうすうと寝息をたてる少女が1人― 「また、眠ってしまいましたね・・・アンジェリーク」 ため息をつくこともなく、リュミエールの顔には再び微笑が浮かんでいた。 そうして、先日と同じようにそっとアンジェリークに近づいてゆく。 だが、彼は前とは少し違った思いで、眠る少女を見つめていた。 もし、今彼女を起こしたらどんな反応をするのだろうか? 緑の瞳がゆっくりと開く様はさぞ美しく、そして事態を把握した瞬間、その瞳は驚きに満ち、頬は真っ赤に染まるだろう・・・ 以前の比ではないくらいに。 そんな風に想像することが、なぜだか今の彼には心地よかった。 リュミエールは自身の胸に、そっと手をあてた。 この不可思議な気持ちを確めるように。 ―どうして、なのでしょう? こんなにわたくしの心が騒ぐのは どうしてなのでしょう? 私の隣で貴方がいつも眠ってしまうのは 信頼してくださっている・・・ それならば嬉しく思って当然なのですが 全く意識されないのも・・・ なぜだか残念な気がするのです いったいどちらなのでしょう? わたくしは、いつのまにか 自分に都合のいいことを考えてしまい 愛の歌を望んだ貴方は いったいどんな気持ちでそれを望んだのかと あれこれと思い、胸がさざめくのです かすかに身じろぎをする彼女を見て リュミエールはクスリと笑う。 ―そうですね・・・ 答えは、貴方が目覚めてからお聞きしましょうか 1つ1つ・・・ゆっくりと 貴方の可愛らしい様を見ていたいから 「それまでは、おやすみなさい―」 そうリュミエールはつぶやくと 抱き上げたアンジェリークの額に そっと口付けを落とした。 眠り姫の、目覚めを待ちながら― |
Fin |
2008.3.28UP